イギリスでの入院は辛いこともたくさんありましたが不幸中の幸いで、人生のステージが一段上がり、間違いなく人生のターニングポイントとなりました。

人によって生きられる時間は違いますが、その時間に関わらず、
人生はセルフマネジメントが最も大事だという話です。



人生を後悔しないための根拠を持った決断力、日頃から意識しておかないと一朝一夕で身につくようなものではありません。



人生を幸せに過ごせるかどうかには生きがいがあるのかどうかだと思います。
生きがいとは何なのかを改めて確認ができました。
すでに見つけてる人でもそれは仮の生きがいではなくて、本当の生きがいなのかを見抜くのにも役立ちます。


他にもざっとあげるだけでも

家族
人間関係、感謝
自分の強み
パートナー
人生
死生観
健康
仕事
英語
薬物問題
福祉

これだけのことを1週間で一気に学べました。まさに精神と時の部屋でした。

一時期は、目が見えなくて移動するのが危険なため看護師が車椅子で僕を運ぶくらい、両目がほとんど見えなくなったことで、これまで積み上げてきたものやこれからのライフプランが終わりを迎えるかもしれないという危機感がありました。

そのときに人生について考える機会ができて、これからの方向性が明確になったので、この記事ではそれをまとめてみます。

ちなみに今、右目は見えませんが、左目は見えています。(右目は今回ではなく、2015年に見えなくなりました。)


ほとんど目が見えなくなったあとの世界というのはなにもかもが初体験で、スマホの文字が読めない、料理ができない、仕事ができない、外にもいけない、なにかあるなという影くらいはギリギリ見えるので(とはいっても障害者一級レベル)、何もできないことはないのですが、何をするにしてもまずは手で存在を確認して、慎重に行動する必要があります。

外に出るのも命がけです。

そうすると時間がかかるもの、たとえばあまり重要でない

メールをチェックする

など、せっかく時間をかけてもあまり生産性のないものだと、それ自体に取り組むことがめんどくさくなってくるので、日常での行動が本当に大事なことだけに絞られます。

何が本当に必要なのか、選択と集中のスキルが上がりました。

結果的に、これまでに日常でしてきたことがかなり減って、一つひとつに時間をかけた丁寧な暮らしができるようになりました。人間らしい生活、ゆとりをもった生活です。

たとえば朝昼晩と全て自炊して食事を楽しむので、1食につき2時間、朝昼晩なので、食事関係だけで6時間かけるなど。

本来の生活とはこういった生き方なんだなと。

日々、せわしなく、超情報社会の中であれもこれもと、優先順位をつけずに、やる必要のないことをやっていたんだなと反省しました。

忙しい現代ではほとんどの人がそういった状態だと思うので、人それぞれの優先順位を一緒に決めていくようなコンサルもしていきたいです。

think clearly、自信を持って優先順位を決める。

それはフリーランス界のこんまりさんのようなもの

と友人に言われてしっくりきました。

尊敬しているスティーブジョブズも、病気の発見で死の一歩手前までいって、そこから奇跡的に生還したにも関わらず、おそらくライフスタイルを変えずに無理をして、再度ガンになって亡くなってしまったのは本当に残念です。

スティーブジョブスが言っていた「死は最高の発明」の意味が僕なりに腹落ちしました。

死、つまり終わり、期限がないといつまでも優先順位をつけずに、ただただグダグダで人生を過ごしてしまいます。

人生は長さではなく、その中身なので、いつまでも生き続けることは命の重み・尊さ・美しさといったものがなくなってしまうのではと思うのです。

好き4を広めることが人生のミッション
好き4(毎日4時間だけ、好きなときに、好きな場所で、好きな人と、好きなことを仕事にして暮らす)の意義も改めて感じました。

入院では好き4をするのに欠かせない仕事の効率化をしていたことが役立って、いざというときには、毎日4時間ではなく週に2時間働けばいいようにしていました。

緊急入院が決まったときに病気に対する不安はかなりありましたが、効率化を進めていたため、仕事のことに関してはあれこれ考えずに済み、安心して治療に望めました。

これがもし、普段から8時間以上働いていてとか、社員を雇っていてとか、仕事が常に忙しくてとか、クライアントがたくさんいてとか、という状態だと絶対に安心して入院できなかったと思うのです。

もし仕事のことで頭がいっぱいになった状態で治療していたとしたら、また結果が変わっていたかもしれないと思うとゾッとします。

病気というのは急激に回復するというよりもゆっくり回復するので、ゆっくりに耐える「待てる力」を身につけておかないといけません。

好き4で普段の生活から余白があると、このゆったりと「待てる力」が身についていました。

現代は時間の流れが超特急で、ゆっくりご飯をする、ゆっくりお風呂に入る、ゆっくり本を読む、そんな時間の使い方がどんどんなくなってきています。

2人に1人がガンになると言われてる現代に、一生病気とは無縁という人はほとんどいません。

治療するとなったときに、そんな忙しい生活を普段からしていたら、治るものも治らないですし、治ってもまた再発してしまいます。



「待てる力」のおかげで自分と向き合うことができ、さらに両目が急激に見えなくなっていったことから今の自分にできる残された時間が数日しかないという体験のおかげで、人生の優先順位が強制的に決めさせられ、タイムマネジメント力が強化されました。

これまでも優先順位をつけてたはずなのですが、いざそういった状況になって初めて優先順位をつけてたつもりだったことに気付きます。

優先順位を見直したら、結局行き着くところは、人生の4大テーマと呼んでる、お金、人間関係、健康、ライフスタイルに落ち着きました。

入院するまでは全て同じくらい重要だと思っていましたが、実はその中でも順番があって、真っ先にわかったこととしてお金は一番ではなかったことです。

両目が見えなくなるまでもう3日というカウントダウンの中、

お金はいくらあっても意味ないな

と思ったからです。

それよりも大変な中で、目の前にいる助けてくれるパートナーや友人がなによりも大事だと心底思ったのでした。

人間関係を一番中心としてその他の3つ健康、ライフスタイル、お金があるということです。

命がかかっていて期限が数日しかないという「超強制環境」がこんなにもたくさんのことに気付かせてくれるなんて思いもしませんでした。

強制環境の大事さは前からお伝えしてますが、



強制環境が人生で一番大事だと改めて腹落ちしました。

目がもうすぐ見えなくなるかも知れないという状況下でも、貢献したい、仕事がしたいと思えるほど、仕事のやりがい、自分の仕事に対する誇りやそれを選んで良かった確かさにも気付けました。

死ぬ間際になると、自分はもう終わりだからという意味で、他に少しでもなにかを残したい、貢献したいという気持ちになるものなのですね。



好き4のおかげで入院を通してパートナーとの関係もさらに良好になりました。

もし好き4をせずに心に余裕を持てていない状態でこんなに重症になったら、自暴自棄になって身近な人にあたってしまうなんてことも十分にありえました。

パートナーは看護師で普段からとても忙しく、退院後も自分で薬、食事、ライフスタイルなど、色々と気にしないといけないところもあったのですが、これも好き4のおかげで自分で健康ケアできました。

メンタル的にもパートナーが看護師のため、病院からの感染という意味で、最初はコロナもかなり怖かったですが、考える時間もたっぷりあり開き直ってメンタルが安定しました。

また退院後、運営しているオンラインサロンの元サロンメンバーとやりとりをしていると、

好き4哲学がもっと普及したらきっともっとオルタナティブな生き方がしやすくなる。
病気や障害があるから・不登校だから・ひきこもりニートだから・もう年だからなどの理由で色々諦めて安楽死まで思い詰めている人に、「そんなことないよ」って気休めじゃなく事実ベースで元気づけてあげれる社会環境づくりに貢献すると思う。
だから、井元さんがこうやって今発信してくれていることが嬉しいんです。

といった言葉をいただいたのは本当に嬉しかったです。

好き4を世の中に広げていこうという後押しにもなりました。


実際に死を間近に感じての変化
死を前にしたら恥ずかしいなんて気持ちもなくなり、これまで恥ずかしいと思っていたことも気にせずに言えるようになりました。

恥ずかしい、怖いという感情は日常にたくさん潜んでいます。

新しいチャレンジ、人を褒めること、好きと言葉に出すこと、話しにくいことを切り出すこと、ありのままでいること、恥ずかしさや怖さでやりたかったけどできなかったこと

あなたもあるのではないですか。

それらを恐れることなく過ごすことができたらどんなに楽しいのだろうか

と薄々と前から思っていたことです。

一度は両目が見えなくなったことでたくさんのことに気付けました。他の人にもそういった経験に近いもの、暗闇の世界を体験してほしく、東京には暗闇の中でボクシングするエンタメがあるみたいなので、そのうち行ってみたいですね。

数年に一度開催するフリーランス養成合宿では、合宿期間の1週間を通して、受講者が見えない世界の体験ができる強制環境も作りたいです。

左目が見えるようになったので、恥ずかしい、怖いという感情はまたもとに戻ってきましたが、一度怖いもの知らずな状態を経験したので、また恥ずかしい、怖いという思いをしたら、この病気のことを思い出すようにします。

両目の視力を失っていたかもしれないところから命拾いしてラッキーなんだという心持ちで、もともと失ってたものなんだからと思うことで恐れや不安をはねのけて新しいチャレンジもしていきたいです。



人生で大事なことすべてに気付けたと思ってしまうほど(そんなはずない)のうぬぼれがあったほどで、人生の第一章が終わって新しい人生が始まる気持ちよさでした。←後日談として、これは薬のせいで気持ちが上がっていたからでした。

難病は僕のアイデンティティでもあるので、引き続き付き合いながらもこれからの人生第二章がとても楽しみです。